サマリヤの女

 

  カトリックへの警告!!

 

 

 

偽造文書と教皇の権力 

 

メアリー・アン・コリンズ 

 

(元カトリック修道女)  

 

www.CatholicConcerns.com

 

2002年6月  

 

(*この文書は、読者に翻訳頂きました。感謝。) 

 

 今現在、我々が教皇と呼んでいる人物は、もともとはローマの司教のことです。(各都市に散らばる司教の肩書きを持つ人物の中の一人の司祭という意味合いがあります。)そんな中で、ローマ司教は、教会全体を超越した権力を手に入れ、教皇となりました。それから教皇は、国王や皇帝を廃止するほどまで強権的になりました。また、国王の世俗的権力を使い、カトリックの僧侶や修道士がおこなうべき宗教裁判を強要するほどの力を手に入れました。1870年、教皇は「間違えることは断じてない」という風に宣言されました。時代が進むにつれ、教皇の権力を強めるにあたり、偽文書が教皇制度や教会の歴史認識を変えるほどに力を発揮しました。

 

 これより、これらの欺瞞に満ちた情報を簡単に述べることにします。このレポートの最後に詳細な歴史上の情報に満ちたウェブ上の記事を紹介することにします。

 

 数ある欺瞞のうち最も有名なものの一つは、845年頃に書かれたと言われる“Pseudo-Isidorian Decretals”です。(それは「偽ローマ教皇教書」として知られている)その書物は、115の文書から構成され、考えるに比較的初期の教皇が書いたものであると思われます。(注:1)

 

 カトリック百科事典で調べるならば、これらは偽造であると認めています。これらの偽造文書は、教会が世俗的権力から独立し、平信徒に教会を統治させないという目的で作られていると書いてあります。(注:2ウェブ上に記事が出ています)言い換えるならば、それらの目的は、教皇とカトリック教会の権力の増大にあります。

 

 もともと全部偽物の文書の他に、本物の文書すら偽物に作り変えられました。125ある本物の文書に偽りが混入され、その偽りが教皇の力を強めることになりました。多くの初期の文書は、本来言ったことと逆のことが言われたかのように、改ざんされました。(注:3)

 

 数ある偽造のうちから、一つを例に挙げるならば、聖アンブロシウス(340~397、ミラノの司教)が書いたなどと、でっち上げた手紙が、それにあたります。それによると、もしローマ教皇の地位を認めないならば、そのような者は、異端とされてしまうのです。(注:4)これなど、いかにして教皇の権力が、大いなる尊敬を集めていた初期の司祭の権威を不当に利用して増大されたかの、いい例です。

 

         (聖アンブロシウス)

 

 

9世紀における、別の有名な偽造文書は「コンスタンティヌス帝の寄付」なるものだと思われます。コンスタンティヌス帝は、ローマ帝国の西側をローマ司教に献上したなどと、平気で主張しています。教皇は、何かにつけてこのことを持ち出して、世俗的権力を主張しています。(注5)

 

        (コンスタンティヌス帝)

 

 

ギリシャ在住のクリスチャンが、ローマ教会と論点を議論しようとした時、教皇は、しばしば彼らの主張を押し通すため、偽造文書を活用したのです。こんなことは日常茶飯事だったので、700年間ギリシャ人は、ローマを欺瞞の巣窟と呼びました。(注6)

 

 

 300年の間、ローマ教皇は“Pseudo-Isidorian Decretals”と、他の偽造物を利用して、ローマ教会のほうが、東方教会よりも権威があると主張し続けました。コンスタンチノープル大主教は、このでっち上げの主張を認めませんでした。このような経緯から、東方正教会とローマ・カトリック教会は分離する結果となりました。(注:7ウェブ上に記事あり)

 

 

 12世紀の中頃、グラシャンという名の修道士が“Decretum”を書き上げ、そして、それは聖典法(ローマ・カトリックの教会運営の法規的制度)の基本原則を形成することになります。その中には、偽造文書からの引用が、沢山あります。グラシャンは、それらを引用しては、彼独自の多くの結論を導き出しています。グラシャンは恐らく、紀元4世紀頃までの教皇が書いたと思われる文書から、324節も引用して使っています。それらの文節の僅か11節は本物だと思われます。しかし残りの313の引用は、全くの嘘偽りだと言ってよいです。(注:8)

 

 

 13世紀にトマス・アクィナスは、“Summa Theologica”や他の幾多にもおよぶ著書を書き上げました。彼の書いたものは、スコラ哲学の基礎を成しました。アクィナスは教会の神父や初期の教皇が、引用の手段として使いやすいよう、グラシャンの“Decretum”を活用しました。(注:9)アキナスは彼自身本物であると考えた偽造文書すら活用したわけです。(注:10)

 

         (トマス・アクィナス)

 

 

トマス・アクィナスの神学の重要性は、聖職に関する教皇ピウス10世の回状の中に発見することができます。1906年ピウス教皇は、哲学、神学、聖典を学ぶにあたり、聖職に就こうと思う者は、教皇の指導やトマス・アクィナスの教えに従うべきだと発言しています。(この回状は注:11のインターネットアドレスに掲載されています)

 

         (教皇ピウス10世)

 

 

ウィリアム・ウェブスターは、「歴史法廷におけるローマ教会」の著者である。(この本はお薦めです)彼のウェブサイト上に、「欺瞞と教皇権~その歴史的影響と教皇権という教義を確立するため、いかにして奸計をはかるか」と名付けられたタイトルの記事があります。その記事には、“Pseudo-Isidorian Decretals”という文書や他の偽造文書が、いかに教皇権やカトリック教会に影響を与えたか、事細やかに載っています。その記事の中から4つほど引用したものを下記に紹介しておきます。(使用許可を得ています) 

 

        (ウィリアム・ウェブスター)

 

 

9世紀の中頃、急激な変化がヨーロッパ西部の教会を襲うことになります。その変化なるものは、教会にとって最高法規とも言うべきものをドラマチックに造り替え、教皇権を十分強力ならしめる土台を造り上げました。教皇権は教会の最高法規と最高法規の歴史認識の根本的再構築無くしては、実現しなかったでしょう。真実なる教会史というものが、十分に知らしめられていたならば、違法とも言えるローマ教会の野望を妨害する手段として、機能したかもしれなません。しかしながら9世紀に、ヨーロッパ西部に位置する教会の古い統治形態を完膚なきまでに覆した、文学的要素を持った偽造書が世に出回りました。この偽造書は、“Pseudo-Isidorian Decretals”として知られていて、845年頃書かれた物です。この“Decretals”は、教会史の完全なる嘘偽りです。欺瞞と奸計を駆使して、4世紀以前にさかのぼって、世界中の教会のトップとして、教皇の権威を揺るぎないものとし、また教皇は、いつでもトップとしての主権を行使でき、教会の公会議をも越えた究極的権威を持った存在であるとの既成事実を造り上げてしまいました。

 

 

 史実は、世界的規模で教会を捉えた場合、教皇権などというものは現実的ではないということを証明しています。多くの有名なローマ・カトリックの歴史家は偽造書の重大性、特に偽造物としての“Pseudo-Isidore”の与える影響の重要性を事実として証明しています。そのような歴史家の一人に、ヨハン・イグナツ・フォン・デリンガーがいます。彼は、今世紀最大、高名なローマ・カトリックの歴史家であり、ローマ・カトリックとしての教会史を、47年間教えていました。「ウェブスターは広範囲に渡りドリンガーから引用している」

 

     (ヨハン・イグナツ・フォン・デリンガー)

 

 

Pseudo-Isidorian Decretals”に付け加えて、教皇権の絶対性という教義を巧妙に増殖するのに用いた偽造書が、他にもいくつか存在します。有名なトマス・アクィナスの著作などがこれにあたります。1264年、トマス・アクィナスは「ギリシャ人の誤りについて抗議する」という名の書物を書きました。この文書はその当時の、たとえば、三位一体、聖霊の働き、煉獄、教皇権といったような論点に関して、ギリシャ正教会とローマ教会との神学論争の問題を扱っています。教皇権の抗弁として、トマス・アクィナスは、実質上ほとんど、教会の神父連中のでっち上げから抗弁事実を引用して論じています。これらの引用は、後の世紀の多くの西洋神学に大いなる影響を与えました。

 

 

 ローマ・カトリックが権威を主張するのは、究極的には教皇制度によるところが大きいです。教皇権とは言うならば、ローマ・カトリックへとすべての権威が流れ込む中心であり、根源であります。ローマ教会は長年にわたり、この制度はキリストにより創られ、原始教会時代から与えられてきた力ゆえであると主張します。しかし、歴史上の記録によると、非常に違った青写真を見ることができます。この制度は元来、歴史の捏造を通して、また教皇制に関してトマス・アキナスの言い訳としか証明できない嘘偽りを拡大解釈したりして、より増大したものである。偽造がそのすべての根底に横たわっているのです。

 

 

 ウィリアム・ウェブスターの記事を読むことを特にお薦めします。貴重な歴史的情報の宝庫であると言えます。その記事のホームページアドレスは、以下のとおりです。

 

 

http://www.christiantruth.com/forgeries.html

 

 

この記事の活用について

 

 

 さあ、この記事を、勇気を奮い起こしてリンクしてください。公正に、そして正確に扱ってくれる限りこの記事を引用して下さってかまいません。この記事をコピーして友人に配るなり、研究会で使っても問題ありません。

 

 

脚注

 

 

.ウィリアム・ウェブスター、「歴史法廷におけるローマ教会」(カーライルPA:The Banner of Truth Trust,1995)62~63ページ、ウェブスターは、元カトリック教徒である。

 

 

 ピーター・デ・ローザ、「キリストの教区牧師」(アイルランド、ダブリン:プールべックプレス、1988,2000年度版)58~61ページ、174,208節、デ・ローザはカトリック教徒で、元神父である。彼はバチカンの図書館で歴史的調査をすることができる立場にあった。

 

 

 ポール・ジョンソン、「キリスト教の歴史」(ニューヨーク:タッチストーンブック、サイモン&シュスター、1976,1955年度版)195ページ。ジョンソンはカトリック教徒であり、著名な歴史家である。

 

         (ポール・ジョンソン)

 

 

.カトリック百貨辞典内「ベネディクト・レビータ」、[ベネディクト=レビータは“Pseudo-Isidorian Decretals”の著者のペンネームである。

 

 

http://www.newadvent.org/cathen/02466.htm

 

 

.De Rosa 59ページ

 

 

.De Rosa 166ページ

 

 

.Johnson 170~172ページ

 

 

.De Rosa 59ページ

 

 

.正教会インフォメーションセンター、“The False Decretals of Isidore”アビー・ゲッテが書いた“The Papacy”からの抜粋、著者は信心深いカトリック教徒であり歴史家でもある。教皇権について歴史的調査の結果を受け、彼は結局のところ、正教会に転籍した。

 

 

http://www.orthodoxinfo.com/inquirers/decretals.htm

 

 

「1054年の教会大分裂」、ワシントンDCでのバプテスマのヨハネに所縁のあるロシア正教会の会堂での説教から

 

 

http://www.stjohndc.org/Homilies/9606.htm

 

 

.Webster、62~63ページ De Rosa、60ページ

 

 

. Webster、63ページ  De Rosa、60ページ

 

 

10.ウィリアム・ウェブスター、「偽造と教皇権“教皇権”という教義を増強するにあたっての歴史的影響と偽造の活用」

 

 

 このことは、トマス・アキナスが誤って本物であると信じ込んで偽造文を活用したとする根拠を詳細に示している。

 

 

http://www.christiantruth.com/forgeries.html

 

 

11.ピウス10世、“Pieni animo”(「イタリア国内の聖職に関して」)1906年7月28日(第六章をご覧下さい)

 

 

http://www.catholic-forum.com/saints/stp06010.htm

 

 

http://www.ewtn.com/library/encyc/P10clr.htm

 

 

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