目次

 

第1章 『預言者の権威』 

聖書の中で定められている 預言者の権威について

 

第2章 『教えの罠を外す』

サタンが終末の日のために、キリスト教会に仕掛けた教えの罠を外す

 

第3章 『律法の専門家』

律法の専門家が鍵を持ち去るとは何を意味するのか?

 

第4章 『牧師、偽預言者の間違えについて』

終末の時代の偽預言者の危険

 

第5章 『捕らえ移されたイスラエルの民』

旧約の北イスラエルの民がたとえるものは?

 

第6章 『糞を食らい、尿を飲む』

終末の時代に人々は、本来の命のパンでなく、糞を食らう

 

第7章 『教会のたとえ(女)』

聖書の「女」に関する教会のたとえについて

 

第8章 『イゼベル』

イゼベルに関する記述は、未来の教会、特にテアテラの教会に関する聖書の預言を理解する鍵

 

第9章 『北の国』

北の国の脅威とは?プロテスタントのカソリックへの傾倒は主の御心ではない

 

第10章 『捕らえ移されたイスラエル』

~神は旧約のイスラエルについて預言し、また、聖書の教えから免脱している今のカソリックについて預言している~

 

第11章 『北の国、マゴグの地のゴグ』

~終末の日に、真に神に着こうとする人々は、カソリックの教義的な攻撃を受ける~

 

第12章 『女の教え』

~女(教会)のあるべき姿について~

 

第13章 『テアテラの女の教え

~テアテラの教会とは何を指すのか?~

 

第14章 『異邦人がエルサレムを踏み荒らす

~「異邦人がエルサレムを踏み荒らす」とは教会が悪魔礼拝者などにより踏み荒らされていくこと~

 

第15章 『パンを食べず、水を飲まないこと

~カソリック(ヤロブアム王)の教えを受け入れるプロテスタント(ユダ)に対する神の扱いについて~

 

第16章 『パンのききん』

~教会における「御言葉を聞くことのききん」について~

 

 

第17章 『サマリヤのシモン』

~現代のシモンはカトリックの法王~

 

 

第18章 『過ぎ去った時代』

~人間は見えない神より、目に見える人にいけにえを捧げやすい~

 

 

第19章 『終末の2つの教会』

~「真の礼拝者」と「真の礼拝者でない者」~

 

 

第20章 『べテル』

~民を偶像礼拝へと導くヤロブアムは、現代カソリックの予表~

 

 

第21章 『敬虔の実を否定する』

~終わりの日には、この世の人々のみならずクリスチャンまでもが変質してしまう~

 

 

第22章 『パンのささげもの』

~聖書のメッセンジャーは聖く、欠陥があってはならない~

 

 

第23章 『逃れの町』

~逃れの町は主イエスの十字架による救いの

 

 

第24章 『呪われた地』

~殉教者の血が流される時、その地は呪われた地となることを見ていく~

 

 

第25章 『年を経た蛇』

~年を経た蛇、サタンの企みは一掃され、嘘つきどもとの戦いの決着する日が来る~

 

 

第26章 『力を尽くして安息に入る』

~安息に入るクリスチャンと安息に入れないクリスチャンについて~

 

 

第27章 『安息』

~7つ目のミレニアムにいる我々に対する警告として聖書は行いの呪いに入る危険を語っている~

 

 

第28章 『新しい外套』

~イスラエルの国の分裂より、カトリックとプロテスタントの分裂を見ていく~

 

 

第29章 『再び行いに入るペテロ(1)

~キリスト・イエスにある自由を守るため、行い主義に対し、妥協、譲歩してはならない~

 

 

第30章 『再び行いに入るペテロ(2)

~義と認められるのは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によってである~

 

 

第31章 『神より人を思うペテロ

~ペテロをサタンと主が呼んだことばは、未来の日に起きてくるこの教会(カトリック)の現実を預言したもの~

 

 

第32章 『子牛を拝する

~出エジプトの時代、民が子牛を礼拝したことの意味合いを見ていく~

 

 

第33章 『子牛を拝する(2)

~子牛を拝する件をさらに見ていく~

 

 

第34章 『マリヤの胸をつらぬく剣

~かつてマリヤに語られた「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。」とのことばを見ていく~

 

 

第35章 『安息日の主

~安息日で象徴される7つ目のミレニアムは実は冒涜の日、安息のない日となることを暗示している~

 

 

第36章 『ペテロはイエスを否定する』 

~ペテロの後継者に率いられる教会により呪いを込めてイエスを否定することが起きてくる~

 

 

第37章 『漏出を病む者』 

~汚れた教会の存在と、そこからのきよめと解放について~

 

 

第38章 『裁き(公義)をなおざりにする』 

~語るべき裁きを語らず、心地よいメッセージしか語らないかつてのパリサイ人の道を歩み続ける現代の教会~

 

 

第39章 『弟子となること』 

~主の弟子になるとは、具体的には、捨てること、犠牲にすること~

 

 

第40章 『律法学者とゲヘナ』 

~御言葉、聖書の専門家であっても裁かれ、ゲヘナ、燃える火の裁きに会うことを見ていく~

 

 

第41章 『律法学者とゲヘナ(2)

~かつての日の律法学者、パリサイ人たちへの警告は今の時代の説教者、牧師、奉仕者へ向けられたもの~

 

 

第42章 『“救い”ということばについて』

私たちが救われなかったら、イエスを信じなかったなら、永遠の命を失い、結果、永遠の滅びに渡される

 

 

第43章 『牛を売る』

嘘つきあがない教理を語る牧師や神父の下で信仰を続けていくなら、捧げものとしての祈りや奉仕は神の前に無効となる

 

 

第44章 『剣の刃に倒れる』

背教、堕落のゆえにその報復として神の怒りが堕落した神の民に下る

 

 

第45章 『滅びる食物』

教会で語られる、滅びに至る教えについて見ていく

 

 

第46章 『盗んだ金で像を作る』

キリスト教会に蔓延している偽りのあがないについてみていく

 

 

第47章 『2つの陣営に分ける』

世俗化したカトリックとの統一「エキュメニカル」運動は、神の御心ではない

 

 

第48章 『悪魔を父とするクリスチャン』

イエスを信じるクリスチャンであると語りながら、なおかつ悪魔を父とする人々について

 

 

第49章 『他の所を乗り越えて来る者』

羊の門であるイエスキリストによる救いを語らない人々、それ以外の救いを語る人々についてみていく

 

 

第50章 『王の災い』

私たちを裁く王は人の建てた王ではなく、主イエスである

 

 

第51章 『主に聞くこと』 

正しく主のことばに聞かないなら、神の前で誉れを受けることはない

 

 

第52章 『道』 

道は狭いが、私たちのこの世での目的は、永遠の命に至る場所、キリストの住まわれる天の住まいに行くこと

 

 

第53章 『お取次ぎは非聖書的』 

カトリックのマリヤ崇拝についてみていく

 

 

第54章 『岩の上に教会を建てる』

私たちが神の教会を建て上げようと志すなら、弟子の建て上げに力を尽くす、そこにポイントがある

 

 

第55章 『真理に属する者』

終末には、真理に聞き従う人とそれを拒否する人の区分が起きる。その結果は、永遠の命と光栄、他方は死と裁き

 

 

第56章 『悪霊に仕える』 

仏式葬式やマリヤ礼拝などを通し、偶像崇拝についてみていく

 

 

第57章 『曲がった時代から救われる』 

惑わしの霊が覆う、曲がったこの時代、救われなければ滅びは目前

 

 

第58章 『足なえ』 

~メッセ-ンジャー、教師、信仰の偉人、ペテロの信仰に頼ることではなく、ただ、ナザレのイエスの名によって求めることが大事~

 

 

第59章 『神のことばを投げ捨てて食卓に仕える』

聖書で明確に記載されている地獄に関して、それはないと述べることは、会衆の食卓を優先し、神のことばを捨て去り、無視する歩みである

 

 

第60章 『サマリヤのリバイバル』

聖書のことばを否定し、文字どおりに受け入れない、冒涜教会、カソリックにも福音が訪れる日が来る

 

 

第61章 『安息日の教え』

私たちが自分の仕事、すなわち行いを止め、中止し、主に安息する時、主御自身がわざを成して下さる

 

 

第62章 『安息日(2)

私たちが自分の手を降ろさず、休まないということは、事を行う神を信頼しないことであり、これが不信である

 

 

第63章 『血にはいのちがある』

私たちのクリスチャン人生は、その内側の血、すなわち霊がどのようなものかで決まる

 

 

第64章 『その道を通らない』

プロテスタントからカトリックへ至る道を通ることは禁じられており、死をもって罰せられる道である

 

 

第65章 『その道を通らない(2)

カトリックの教えを受け、その霊を受けることは、プロテスタントのクリスチャンにとり、永遠の命を失う結果となる



第66章 『その道を通らない(3)

カトリックのパン、教えを受け、また、水、霊を受ける人は獅子に殺される、すなわちサタンにより、命を失う


 

 

第67章 『蠅の王に聞く』

マリヤの霊に聞き従う人々を待っているものは、「病の寝台」である


 

 

第68章 『勇士ナアマンのらい病』

罪を秘かに患っている人への福音についてみていく

 

 

 

第69章 『勇士ナアマンのらい病(2)

聖霊に浸される時、私たちのらい病、罪におかされている体もきよくなる



 

第70章 『勇士ナアマンのらい病(3)

真に主を求める道に入らず、敬虔主義や行い主義、沈黙の行やら、荒布を着た修行の道を歩むなら、罪は決して離れない



 

第71章 『ヤロブアムの誤り』

ヤロブアムの誤り、それは、みな今のカソリックに誤りに通じている



 

第72章 『根絶やしにされる』

旧約のイスラエルは新約のカトリックの予表。カトリックのおかしな教えに入るなら、誰も彼も一人残さず、滅んでいく



 

第73章 『ヨシュアにより約束の地へ』

聖霊の声に聞き従う人は、狭い門を通り、狭い道を通り、御国に入る