目次
~聖書の中で定められている 預言者の権威について~
~サタンが終末の日のために、キリスト教会に仕掛けた教えの罠を外す~
~律法の専門家が鍵を持ち去るとは何を意味するのか?~
~終末の時代の偽預言者の危険~
~旧約の北イスラエルの民がたとえるものは?~
~終末の時代に人々は、本来の命のパンでなく、糞を食らう~
~聖書の「女」に関する教会のたとえについて~
~イゼベルに関する記述は、未来の教会、特にテアテラの教会に関する聖書の預言を理解する鍵~
~北の国の脅威とは?プロテスタントのカソリックへの傾倒は主の御心ではない~
~神は旧約のイスラエルについて預言し、また、聖書の教えから免脱している今のカソリックについて預言している~
~終末の日に、真に神に着こうとする人々は、カソリックの教義的な攻撃を受ける~
~女(教会)のあるべき姿について~
~テアテラの教会とは何を指すのか?~
~「異邦人がエルサレムを踏み荒らす」とは教会が悪魔礼拝者などにより踏み荒らされていくこと~
~カソリック(ヤロブアム王)の教えを受け入れるプロテスタント(ユダ)に対する神の扱いについて~
~教会における「御言葉を聞くことのききん」について~
~現代のシモンはカトリックの法王~
~人間は見えない神より、目に見える人にいけにえを捧げやすい~
~「真の礼拝者」と「真の礼拝者でない者」~
~民を偶像礼拝へと導くヤロブアムは、現代カソリックの予表~
~終わりの日には、この世の人々のみならずクリスチャンまでもが変質してしまう~
~聖書のメッセンジャーは聖く、欠陥があってはならない~
~逃れの町は主イエスの十字架による救いの型~
~殉教者の血が流される時、その地は呪われた地となることを見ていく~
~年を経た蛇、サタンの企みは一掃され、嘘つきどもとの戦いの決着する日が来る~
~安息に入るクリスチャンと安息に入れないクリスチャンについて~
~7つ目のミレニアムにいる我々に対する警告として聖書は行いの呪いに入る危険を語っている~
~イスラエルの国の分裂より、カトリックとプロテスタントの分裂を見ていく~
~キリスト・イエスにある自由を守るため、行い主義に対し、妥協、譲歩してはならない~
~義と認められるのは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によってである~
~ペテロをサタンと主が呼んだことばは、未来の日に起きてくるこの教会(カトリック)の現実を預言したもの~
~出エジプトの時代、民が子牛を礼拝したことの意味合いを見ていく~
~子牛を拝する件をさらに見ていく~
~かつてマリヤに語られた「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。」とのことばを見ていく~
~安息日で象徴される7つ目のミレニアムは実は冒涜の日、安息のない日となることを暗示している~
~ペテロの後継者に率いられる教会により呪いを込めてイエスを否定することが起きてくる~
~汚れた教会の存在と、そこからのきよめと解放について~
~語るべき裁きを語らず、心地よいメッセージしか語らないかつてのパリサイ人の道を歩み続ける現代の教会~
~主の弟子になるとは、具体的には、捨てること、犠牲にすること~
~御言葉、聖書の専門家であっても裁かれ、ゲヘナ、燃える火の裁きに会うことを見ていく~
~かつての日の律法学者、パリサイ人たちへの警告は今の時代の説教者、牧師、奉仕者へ向けられたもの~
~私たちが救われなかったら、イエスを信じなかったなら、永遠の命を失い、結果、永遠の滅びに渡される~
~嘘つきあがない教理を語る牧師や神父の下で信仰を続けていくなら、捧げものとしての祈りや奉仕は神の前に無効となる~
~背教、堕落のゆえにその報復として神の怒りが堕落した神の民に下る~
~教会で語られる、滅びに至る教えについて見ていく~
~キリスト教会に蔓延している偽りのあがないについてみていく~
~世俗化したカトリックとの統一「エキュメニカル」運動は、神の御心ではない~
~イエスを信じるクリスチャンであると語りながら、なおかつ悪魔を父とする人々について~
~羊の門であるイエスキリストによる救いを語らない人々、それ以外の救いを語る人々についてみていく~
~私たちを裁く王は人の建てた王ではなく、主イエスである~
~正しく主のことばに聞かないなら、神の前で誉れを受けることはない~
~道は狭いが、私たちのこの世での目的は、永遠の命に至る場所、キリストの住まわれる天の住まいに行くこと~
~カトリックのマリヤ崇拝についてみていく~
~私たちが神の教会を建て上げようと志すなら、弟子の建て上げに力を尽くす、そこにポイントがある~
~終末には、真理に聞き従う人とそれを拒否する人の区分が起きる。その結果は、永遠の命と光栄、他方は死と裁き~
~仏式葬式やマリヤ礼拝などを通し、偶像崇拝についてみていく~
~惑わしの霊が覆う、曲がったこの時代、救われなければ滅びは目前~
~メッセ-ンジャー、教師、信仰の偉人、ペテロの信仰に頼ることではなく、ただ、ナザレのイエスの名によって求めることが大事~
~聖書で明確に記載されている地獄に関して、それはないと述べることは、会衆の食卓を優先し、神のことばを捨て去り、無視する歩みである~
~聖書のことばを否定し、文字どおりに受け入れない、冒涜教会、カソリックにも福音が訪れる日が来る~
~私たちが自分の仕事、すなわち行いを止め、中止し、主に安息する時、主御自身がわざを成して下さる~
~私たちが自分の手を降ろさず、休まないということは、事を行う神を信頼しないことであり、これが不信である~
~私たちのクリスチャン人生は、その内側の血、すなわち霊がどのようなものかで決まる~
~プロテスタントからカトリックへ至る道を通ることは禁じられており、死をもって罰せられる道である~
~カトリックの教えを受け、その霊を受けることは、プロテスタントのクリスチャンにとり、永遠の命を失う結果となる~
第66章 『その道を通らない(3)』
~カトリックのパン、教えを受け、また、水、霊を受ける人は獅子に殺される、すなわちサタンにより、命を失う~
第67章 『蠅の王に聞く』
~マリヤの霊に聞き従う人々を待っているものは、「病の寝台」である~
第68章 『勇士ナアマンのらい病』
~罪を秘かに患っている人への福音についてみていく~
第69章 『勇士ナアマンのらい病(2)』
~聖霊に浸される時、私たちのらい病、罪におかされている体もきよくなる~
第70章 『勇士ナアマンのらい病(3)』
~真に主を求める道に入らず、敬虔主義や行い主義、沈黙の行やら、荒布を着た修行の道を歩むなら、罪は決して離れない~
第71章 『ヤロブアムの誤り』
~ヤロブアムの誤り、それは、みな今のカソリックに誤りに通じている~
第72章 『根絶やしにされる』
~旧約のイスラエルは新約のカトリックの予表。カトリックのおかしな教えに入るなら、誰も彼も一人残さず、滅んでいく~
第73章 『ヨシュアにより約束の地へ』
~聖霊の声に聞き従う人は、狭い門を通り、狭い道を通り、御国に入る~