サマリヤの女

 

  カトリックへの警告!!

 

 

サタンによるカソリックへの攻撃 

 

(主に角笛HPより抜粋、記載してあります。)   http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/

 

 この世にはもっと巨大で、もっと長い歴史を持ち圧倒的な権力を持っていた宗教集団がある。もう一つの資料がある。それはカトリック内部の予言者の予言である。  

 

ローマ法王庁は、あと二代で終る  

 

 2世紀のカトリック教会に聖マラキと言う予言者がいた。彼によれば、今からあと2人目の法王ペテロの時がその時である。このマラキは歴代の法王をほんの1行の予言で言い当てている。それは余りにも的中しているので恐ろしいほどである。彼は法王を112代で終わりとしている。現在の法王は、110代目である。現在の法王の予言は「太陽の労働」と言うのであるが、太陽とは東を意味し、彼は東ヨーロッパのポーランドの労働者であった。111代目は「オリーブの栄光」とある。 

 

 それが何を意味するのかは、間もなく分かるだろう。そして最後の112代目だけは極めて珍しく長い文章になっている。「ローマ法王庁が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが法王の座に就く。ローマ人ペテロは多くの苦難の中で小羊を牧する。この苦難が去ると、七つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下される。終わり。」  

 

 私は聖書の預言以外は、あまり予言を信じないが、このマラキ予言だけは神の霊感を受けているような気がする。聖書にはこのような預言者のいることが書かれているのである。面白いことに、ローマ法壬庁はキリストの弟子のペテロの後継者と名乗りながら、ペテロと言う名の法王は、この最後の法王だけである。恐らくこの予言は当たるだろう。ローマ法王庁は、あと2代で終わるだろう。それはあの聖書の予言の通りになるだろう。そして、『終り』となるだろう。  

 

ハロウィーンもクリスマスも悪魔祭  

 

 「我々がイルミナティの世界統一の陰謀とオカルトの悪魔的王国の関係を認識しない限り、この秘密結社の力の深みを本当に知ったことにはならない。それゆえwitchcraftとオカルト信仰の基礎的な理解は必須のことである」 

 

 キリスト者にとって、これは非常に嫌な仕事であり、それゆえ誰もイルミナティの陰謀を探ろうとはしなかった。

 

 しかしこの陰謀の裏付けとなるオカルト、悪霊的知識を少しは知らないと、全くナンセンスになってしまう。研究者の中には、「私はこういう間題には触れない」と言う人もいるが、それではイルミナティを知ったことにはならないし、陰謀の奥行きを知ることはなく、せいぜい表面だけの知識に終わってしまうだろう。

 

 すでに我々はニムロデのオカルトの歴史と時代を見てきた。しかし全ての時代に渡って、ニムロデは多くの国々で様々な名前で知られてきた。例えば、バール、オシリス、ホーラス、ジュピター、センタウ、パッカス等々である。

 

 また、セミラミスはアシタロテ、イシス、シベル、アイリーン、ダイアナ、イシュタル、プィーナスなどで知られている。witchcraft界には多くの神々のシステムがある。

 

 全ての時代の暗黒の世界でもっとも悪しき人々はドルイド僧である。これは、また『柏の人々』Men of oakとも呼ばれている。彼らは人間の生け贅を要求する。男子の奴隷やローマ軍の兵士が堅い砂地の上に置かれた籠の中で、生きながらに焼き殺された。ドルイド僧たちは、火の神エルフィンが大地から出てきて犠牲を飲み尽くすように叫び求める。その間、ドルイド教のビートの音楽が間こえる。(注*これがロックミュージックなどに取り入れられている)

 

 このドルイド教の大きな祭りがハロウィーンである。オカルトでは10月31日のその祭りは『サムハイン』と呼ばれている。ハロウィーンの日にドルイド僧と信者たちは、城から城、農奴から農奴へ「トリックオアトリート」と言いながら渡り歩く。ドルイド僧たちが城で要求する「トリート」とは、その城の王妃か他の女性の生け贅である。「トリート」がドルイド僧の気に入ると、彼らは人間の脂肪で作ったロウソクが灯されている『ジャックオランターン』を置いて行く。それは悪霊によってその城の内部の人間が、その夜殺されるのを防ぐと言うものである。

 

 ドルイド僧の要求が彼らの気に入ったもので答えられないとHexが入り口のドアに書かれる。

 

 これが「トリック」であって、その夜、サタンと彼の悪霊たちがその城の誰かを恐怖の内に殺すのである。すでに見たようにクリスマスもハロウィーンもサタン的な祭りであるが、欧米ではこどものお遊びとして一般社会に普及している。これも彼らの遠大な計画なのであろう。

 

       (ハロウィーン)

       (クリスマス)

 

ハロウィーンの実態がこのようなものであるとしたら、欧米のクリスチャンは、それでも自分のこどもを遊びに行かせるであろうか。最近ハロウィーンの日にこどもが多数殺されるので、アメリカから帰ってきた人の話では、次第にやめられていると言う。

 

 

ユダヤ教に乗っ取られたカトリック教会

 

 

 ここであらかじめ読者にご注意申し上げるが、この本の元になった資料の提供者フリッツ・スプリングマイヤー氏は、カトリック信者ではなくプロテスタントである。それで氏はあえて、これから書くことについて、わざわざその研究はカトリックに批判的な文書からではなく、まったくカトリック内部の文書のみを用いたと言っている。

 

 

 実際、氏の資料には膨大な原資料のリストがあるのだが、この本は読者が読みやすいようにそれらを一切排除した。もし、それら全てを書いたとしたら、それだけで別の本を作らねばならない。また、このテーマ自身、本当に書いたならば何冊の本にもなるであろう。さて、一般には蛇とマングースのように見られているカトリック教会とユダヤ教が、じつはほとんどユダヤ教カバリストに乗っ取られ、ついには法王すらユダヤ人となって久しいと言うことをご存じだろうか。

 

 

 今日では法王庁すら世界統一政府のために、ニューエイジの創設に力を注いでいるのだから変われば変わったものである。特に第二バチカン公会議(1962年から65年にかけて開かれたカトリック最高の会議)以来、まさに地滑り的にそれは進んでいる。

 

 

 一般信徒はその変わり方をあれよ、あれよと見守っている。その背景を順次検証して見よう。まず概観から、そして個々の法王とユダヤ・カバリスト、フリーメーソンの浸透について検証する。カトリックにおけるイルミニズム(啓明される、特別な知恵知識を得る、霊的に高められる)のもっとも古い思想家は17世紀のフロリスのヨアキムであった。

 

 

 彼はこれを、ユダヤ・カバリズムの黙示文学から影響を受けて、クリスチャンのべールの下で「イルミネートされた者たち」というグループを作った。ヨアキムは、特別にイルミネートされた種族が世界の管理に向かわなければならないと信じていた。この思想はその後、セブンスデー・アドベンチスト、エホバの証人を初めとする多くの宗教集団に受け継がれている。トマス・アクィナス(17世紀カトリックの有名な神学者)は、この思想に強く反対してその著書『神学大全』の中で、攻撃している。

 

 

 しかしこの思想を、彼らは「神の計画」The divine planと呼んで、その後も長く継承しておこなった。「イルミネートされた者たち」すなわち高度に発達した人間の典型的な実例は、トーマス・エジンンやその友人ニコラ・テスラであるという。エジンンの協力者ジョージ・ストリングフェロー、エパレット・フレイザーはフリーメーソンであった。では、人はどうやってイルミネートされるのだろうか。言い換えれば、どういう人間がイルミネートされた人間なのだろうか。

 

     (トマス・アクィナス)

 

イルミネートの方法は種々あるが、それは奇妙なことにヒンズー教の教えと共通している。麻薬、踊り、チャネリング(霊交)、儀式、知識の直感などである。これらは古代のエジプト、インド、バビロンの神秘主義の教育の方式であった。一方、キリスト教会はこれらを「悪霊の領域」として拒絶してきた。

 

 

 史上最高の発明者と言われるニコラ・テスラは、極めてオープンに彼の天才は「知識の直感」から来ると言っている。他の科学者たちもその才能は、イルミネートされた外部の源泉から来るのだと言っている。前章に述べたように旧約聖書の外典エノク書には、かの堕落天使たちが多くのテクノロジーを人間に教えたと書かれている。

 

 

 今日、それは宇宙人とかエイリアンなどの名前で登場している。日本の読者にとって、これは少しも悪いことではないと思われるかもしれないが、ユダヤ人と欧米人にとってはこのような思想は明白に神への背信なのである。

 

 

 ユダヤ教の場合は モーセの律法で蔡じられている。また、キリストは自分を「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは父のみもとへ行くことはできない」と言われた。「イルミネートされた者たち」は、キリストとその教えに従わず、全能者なる神を恐れない。

 

 

 彼らは自らが神になろうとしているからである。また、あらゆる仮面を付けて、ルシファーへの礼拝を行っている。(私はエジソンやテスラがそれを知っていたのか、またおこなっていたのかは知らない。またそのような知恵と知識が無かったら、今日の全てのテクノロジーが無かったのかどうかも判断できない。また知恵と知識が全て堕落天使からのものであるとも思えない。ここでは神への背信だけにスポットを当てている)イルミナティの中心は、ユダヤ・カバリストである。そしてイルミネートされたユダヤ・カバリストは、すでに中世からカトリック教会に浸透した。

 

      (二コラ・テスラ)

 

 

法王レオ10世(フィレンツのメジチ家のジョパンニ1513年~21年)はカバラに興味を持った。メジチ家はイタリアの名家でレオ2世、クレメント7世、レオ10世などの法王を輩出した。メロビング王朝時代には、ステファン9世もそうである。ユダヤ人の書いたものの中でスペインにおいて、いかに広範に彼らがマラノとして、外面的にカトリック信者になりすましたか自慢したものがある。実際カトリック教会自身がそのように取り計らったふしもある。

 

       (法王レオ10世)

       (クレメント7世)

 

その特別な実例は、トレドの町が彼らに贈られたことである。トレドはイルミニズムの中心の一つであった。1485年5月24日、トレドに異端審問所がやってきた。暴行が行われる前に「あわれみの時」が与えられ、この期間に約3,000人のスファラディ・ユダヤ人が「改宗」した。その時点でトレドの人口』は15,000~18,000人だったことを考えると、トレドがいかにユダヤ人の町だったか分かるであろう。

 

         (トレドの町)

 

しかもこれらのユダヤ人は、トレドの有力な市民たちであった。これらのスファラディ系ユダヤ人たちは500~700人のグループを作ってトレドの町を教会に向けておこない、自分たちの罪を公に告自した。さらに彼らは、アルコールや儀式といった彼らのライフスタイルを禁止し、いわゆる「ディサブルド」無力化をしたように見せかけた。しかし、すぐにこれらの禁止は、なし崩しに回復した。結局、起こったことはカバラ信仰を持ったユダヤ人が名目だけカトリックに入り、彼らのユダヤ教を隠したと言うことだった。 

 

 それどころか、もっと悪いことが起こった。彼らはその名前をヨーロッパ的に変え、公の記録すら改訂したのでその後、誰がユダヤ人で誰がそうでないか、わからなくなってしまったことである。もっともこのような手段を講じなければならないと言うことはユダヤ人にとって気の毒なことであるし、ユダヤ人が自分たちを防衛するために知力を尽くすことになったのは、ヨーロッパ・カトリック社会の罪であり、そのツケを今、払っているということなのかもしれない。  

 

 スペインのクイティズム「静寂主義」を率いたミカエル・ド・モリノスは、イルミニズムと協力していた。ユダヤ人は占星術師であり、魔術師であり、金貸しであったから、ヨーロッパのカトリック王たちは、しばしばユダヤ人に媚びを売った。クリスチャンは、金にどんな関心も持ってはならないとされていたから、ユダヤ人だけが金貸しとなっていたのである。

 

 王や諸侯が戦争や浪費のために金が必要となった時、彼らはユダヤ人の金貸しのところに行った。カトリック・ヨーロッパ諸国は中国と貿易をしていたが、それはユダヤ人に管理されていた。イタリアの銀行はその遣産である。マルコ・ポーロが1286年に書いた本の中には、中国においてユダヤ人が交易だけではなく政治的な力さえ持っていたこと、またフランク王国と中国、インドとの交易もおこなっていたことが書かれている。

 

         (マルコ・ポーロ)

 

結局、歴史の裏側では、ヨーロッバ諸国はユダヤ人によって管理されていたのだ。ユダヤ人はこれを誇り、それゆえ自分たちが世界も支配するのだと言っている。ユダヤとカトリックの綱引きにおいて、いつもユダヤ人のほうが狡猾だった。

 

 

 

カトリック教会はユダヤ人を特別な脅威と見なしたが、その対策は、いつも不適切で誤導し、不十分だった。カトリックが恐れたユダヤ人の脅威は、主に2つある。1つは新しいメシヤの秘密の血統を守っていること(これにはプリェール・ド・シオン「シオンの長老」と言う組織が当たっている)。もう1つはタルムードである。タルムードはマルチン・ルターの改革の頃にほぼ完成したが、明白に異邦人世界の征服と破壊を宜伝している。(タルムードの完全版を入手することは非常に難しい。今、完全と言われている物は部分的なものであり、それすらそう多くはない)

 

 

 カトリックの最高首脳はメシヤの血統を破壊し、その問題を押さえ込もうとした。またタルムードを無きものにしようと、1244年パリで焚書にした。それは他の都市でも引き続いて起こった。しかし、何と言うまずい方法だったことだろう。思想と言うものは決して物理的な圧力では失われはしない。むしろ逆効果ですらあると言うことを歴史は教えている。ところが事態は複雑になる。カトリックはイエスの血統(ダビデの血統)と言われるものを恐れていながら、内部にすでにユダヤ・カバリストを多数抱えていた。

 

 

 そして十字軍を起こしたカトリックの法王は、ダビデ王とイエス・キリストの血筋と彼らが考えている秘密の血統の要請によって、十字軍運動を促進したのである。要するにカトリック内部のユダヤ・カバリストが、自分たちの土地と考えているパレスチナの奪回に動いたのである。これはまったくフリーメーソンのオカルト信仰から出ていた。よくあることなのだが動機と言うものは、しばしば複雑なものである。十字軍はカトリック教会のイスラム教による恐怖の征服に対する反撃であった。しかし、これまたよくあることなのだが、カトリックの最大の敵はカトリック教会自身だった。

 

 

 ある元カトリックの司祭によれば、モハメッドの財政を助けたのはカトリック教会だったのである。モハメッドは当時、あの一帯を覆っていたキリスト教の異端ネストリウス派からその宗教的な知識を得ている。コーランは旧新約聖書をひどくいい加減に解釈した書物である。十字軍の中で最も有名になった聖堂騎士団(ナイトテンブラー)は、この血統を自認するカトリック僧侶(必ずしもユダヤ人とは限らない、オカルト的信仰の持ち主)の軍隊だったと言う。

 

 

 そして、もしタイミングが良ければ、新しいダビデ王の即位を公表するはずだった。聖堂騎士団は次第に人数と財産を増加させてヨーロッパの優勢な権力に、のしあがった。しかし、あまりにも彼らのカが増大することを恐れた法王の協力によって、フランスの王が彼らのスケジュールをひっくり返してしまった。彼らはフランスで弾圧され、スペインとスコットランドでは非力な集団になった。ドイツではチュートン騎士団になった。その後、スペインとポルトガルでは結社を作ってクリストファー・コロンブスをバックアップする。

 

 

 コロンブスは船のマストに赤十字の旗を掲げたが、あれは聖堂騎士団のマークである。この赤十字は、その後フリーメーソンの聖堂騎士団のマークにも使われている。コロンブスはギリシャ人だという歴史家が多いが、本当はギリシャ出身のユダヤ人である。彼は一貫して強くカトリックの信仰を表しているが、そのもっともらしい表側の裏で、彼は秘密の結社と強い結び付きを持っていた。彼のサインは暗号である。また、コロンブスの航海を助けたのは、著名なプラトニストで、多くの秘密結社のパトロン、黒い貴族メジチ家のロレンツォである。

 

 

イルミナティの計画実行班イエズス会

 

 

 イエズス会は、神秘主義者ロヨラの聖イグナチウスによって創設された。1914年版の『カトリック百科事典』V16によれば、ロヨラのイグナチウスとアヴィラの聖ヨハネはスペインにおけるイルミナティに関する異端審問の前に連れ出されたと言う。すなわち彼らもユダヤの血統かさもなければ最高度にイルミネートされた、言い換えればユダヤ化された異邦人であったのだろう。このカトリックの資料によれば、イルミナティは彼らが「神のエッセンス」になると信じていた。また、最高度な完全さというものは、一切の活動を排除し、自己をただ神に吸収されることだと言う。

 

 

 彼らによれば、肉の欲望や行動は罪深いものではなく、その中に溶け込むべきものだと言う。この見解はヒンズー教の教えである。イエズス会結社は、イルミニストでカトリック教会転覆の秘密の使命を帯びた集団であった。例えば、有名なパパリア・イルミナティは、ババリアのインゴルシュタットにイエズス会が作った大学で作られたものである。このイルミナティ支部を作ったアダム・ヴェイスハウブトは、ユダヤ人イエズス会士である(私は最初の本『悪魔最後の陰謀』でアダム・ヴェイスハウプトがユダヤ人としてイエズス会の僧侶に教えられたために、生涯キリスト教に憎悪を持つようになったと書いた。当時はその程度しか匁らなかったのだが、思えば無知だったものだ。アダム・ヴェイスハウプトが、フリーメーソンの中にイルミナティを作ってフリーメーソンを陰謀組織にしたなどという情報しか知らなかったのだが、イルミナティはアダム・ヴェイスハウブトのはるか前からあったのだ)。

 

 

 イエズス会は清貧、貞潔、聖地巡礼の誓いを立て、法王の命令には「死体のように運ばれ、盲人の杖のように用いられる」とした。この徹底した姿勢のために、宗教改革によって動揺弱体化したカトリック教会に新しい息吹を与え、宗教改革に対抗する勢力の中心的存在となり、ついにはカトリック教会そのものを左右する勢力となっていった。イエズス会はカトリック内部に巣食った獅子身中の虫であり、カトリックを完全に転覆破壊し、ユダヤ・カバリズムの巨大な宿主にしてしまった。

 

 

 ただしそれにもかかわらず、一般のイエズス会士と信徒とは、まじめに神を礼拝し、生涯を神に捧げていたことを忘れてはならない。アダム・ヴェイスハウブトの後ろに、ニコライという男がいた。彼はベルリンにイルミニズムを宣伝する文学者のグループを作ったのだが、このニコライの後ろにレッシングとメンデルスゾーンがいた。ゴットポルド・エフライム・レッシングは、この反キリストの男ニコライをサポートし、文学を通して協力した。また、モーゼス・メンデルスゾーンの回想録にも、彼がニコライを支えていたことが書かれている。

 

 

 モーゼス・メンデルスゾーンは世界政府である「ユダヤ・カハール」のメンバーである。彼はユダヤ思想家で、千年至福期説を教えたマイモニデスとメーソンであるロックに影響を受けた。まもなくロスチャイルドと他の強力なユダヤ人たちがアダム・ヴェイスハウブトのパパリア・イルミナティに加わった。この時代、ユダヤ人コミュニティは相互に連携し、秘密の情報はヘブル語で書かれた。

 

      (アダム・ヴァイスハウプト)

 

ヘブル語は当時ほんの少しの学者にしか読めない言語であったから、秘密を守る上で非常に安全であった。ポーランドは、その地政学的な価値からフリーメーソンによって民族全体が滅ぼされた。またフランス革命は、ジャコバン党(ジャコブとはイスラエル人の祖先ヤコブのこと)を含むイルミナティのいくつかの結社によって計画され、実行された。そして無数のカトリックの聖職者たちが情け容赦もなく殺された。フランス革命の後、ナポレオンとその4人の兄弟たち(そのいずれもフリーメーソン)が引き続きカトリック教会の力を、そぎ続けた。ナポレオンは法王の現世的な力を打ち破り、パリにあるほとんど全てのバチカンの公文書保管所を捕獲し、いろいろな結社の学者たちがその分析を始めた。これが十分な効果を表わさなかったらマッツィーニとガリパルディがイタリアで革命を起こし、メーソンの政府を立てるはずだった。

 

        (フランス革命)

 

イエズス会のカトリック教会支配の構造は、かなり厳重に守られていた秘密であったが、一部の者には知られていた。イタリアではイエズス会の総会長が、その権力をあまりにも行使するので黒い法王と呼ばれた。時にはあまりにもその権力の行使が目にあまるので、全てのカトリック教国がイエズス会を追放したこともある。

 

 

 もっとも現代においては黒い法王も白い法王も(表と影のという意味)変わりはない。唯一の例外は、ヨハネ・パウロ1世がイエズス会総会長アリューブとその代理人パウロ・デザにすげ替えられたことぐらいである(ヨハネ・パウロ1世については後述)。元イエズス会士だったというアルベルト・リベラ博士は1960年代初期に、イエズス会の総会長がフリーメーソンであり、ロンドンのイルミナティと堅いつながりがあると知ったとき、非常にショックを受けたと言う。

 

 

 なぜならイエズス会では、フリーメーソンは敵だということに留意せよと教えられていたからである。ただし、同博士には疑間点が多い。

 

 

世界大戦を三回計画している

 

 

 第一次世界大戦の前には、誰もあえて世界統一政府の計画を急いで押し進めようとはしなかった。この時期、ナショナリズムがヨーロッパで美しく花開き、スペインとプロシアの戦争という例外を除いて人々は平和を楽しんだ。科学が驚異的に発展し、鉄道が国々をつなぎ、人々はパスポート無しで自由に行き来し、ヨーロッパのどこでもリスク無しで旅行することができた。だから人々はそのままキリストが再臨してパラダイスが来るのではないかとさえ思った。しかし、「イルミネートされた計画」は、長く準備されてきた通りに実行に移されなければならなかった。この時期、重要な働きをしたのがフリーメーソン・グランド・オリエント結社である。グランド・オリエント結社ができたのは1789年だった。そしてこのグランド・オリエント・ロッジがイルミナティのゴールを達成するための道具として共産主義を作った。ユダヤ人マルクスとエンゲルスは、共産主義を作り出すのに卓越した才能を発揮した。その陰にはマッツィーニが影響を与えていた。

 

 

 第一次世界大戦が始まったのは1914年であるにもかかわらず、マルクスは1948年に来るべき戦争について知っていた。それは多くの王政国家と、マルクスが「つまらないやつら」というスラブ民族を破滅させることになっていた。2人の非常に強力なメーソン、アルバート・パイクとマッツィーニがこの戦争のことを書いている。「世界の人々の愛国心を破壊し、彼らに統一世界政府が必要だという願いを起こさせるためには、3回の世界戦争が必要だ」と書いたのは、多分マッツィーニだろう。

 

         (マッツィーニ)

 

 

その手紙は1871年に書かれ、多くのフリーメーソン・ロッジに送られた。それにはどうやって世界政府の創設のために3回の世界戦争を創造するかが書かれている。その手紙の写しは大英博物館に行くと見られるということだ。  

 

 読者よ、こんなことが信じられようか!こんなことが許されようか!あの2つの戦争が、わざわざ作り出されたものであるなどということが有り得ようか。あの2つの戦争によって死んだ幾千万の命はただ一部の人間の覇権のためのアイディアによって失われたのだ!これはとうてい信じたくないが事実である。この世の支配者たちは豪華絢爛たる生活をしながらどんな暴力団も到底及びもしない極悪非道の計画を実行しつつあるのだ。そして彼らの計画の内、あと一度の世界大戦が残されているのである。  

 

 第一次世界大戦をもたらすために使われた手段は、フリーメーソンとイエズス会である。フリーメーソンはオーストリア大公の暗殺を立案実行した。それは、ただちに幾つかの反作用を引き起こした。イエズス会はその影響下にあるオーストリア・ハンガリー帝国をけしかけて、セルビアを罰するために使った。バチカンは彼らの敵ロシアとバルカンの正教会を牽制して連合国をサポートした。イギリス政府と普段はあまり他と協力しないフランス政府が、この時ばかりは協力して世話を焼いた。  

 

 バチカンのこの古いライバルたちに対する古くから続いた恐れが、「イルミネートされた者たち」に第一次世界大戦を引き起こす格好の機会を与えたのだ。 

 

 しかし第一次世界大戦によって、バチカンが期待していた権力奪回の希望は打ち砕かれ、ヨーロッパにおけるバチカンの力は急速に衰退していった。イタリアにはムッソリーニの政権が誕生したが、バチカンはヒトラーをサポートした。ムッソリーニのファシズムとヒトラーのそれは違っていた。ナチズムは、いくつかの秘密結社が確立しようとしていたニューエイジのオカルト的な宗教に形を与えたものである。ヒトラーは初め、大きな力をカトリック教会に与えたが、それはカトリック教会を彼のニューエイジ宗教に作り替えようとしたからである。そして彼はそれに勝った。

 

 ヒトラーはドイツの宣教団にクリスチャンをアジアの遊牧民ボルシェヴィキ(ソ連のこと)から守ろうと言ったが、それは政治的なプロパガンダに過ぎなかった。実際はクリスチャンにとって、ナチスはローマの皇帝かスターリンのような追害者だった。4,000人のカトリックの僧侶と修道士、さらに同じほどのルーテル派の牧師や信徒、その他のプロテスタントの牧師たちがナチズムの異教性と野獣性を非難して殺された。バチカンは、ヒトラーとムッソリーニが彼らの願いを実現してくれると錯覚していた。それは周到に考え抜かれた計略であって、バチカンはそのように操つられたのだ。

 

 ヒトラーもムッソリーニも、カトリック教会に広範な特典を与え、衰えつつある彼らの現世的な力を後押ししようと約束した。他にもナチスの軍隊がロシアに入ったときにはその後からカトリック教会が続いて入り、ロシア人を改宗させる独占的な特権を与えるという協定が結ばれたが、実際にはカトリック教会のすべての努力はむしろ「イルミネートされた者たち」の願った通りになってしまった。もっとも強力な3つの国のフリーメーソン、スターリンとルーズベルトとチャーチルの3人が上部の「イルミネートされた者たち」の思惑通りに第二次世界大戦を実現したのだ。カトリック教会がナチスに期侍したことはもう1つあった。

 

        (スターリン)

        (チャーチル)

 

 

それはイエスの子孫という「聖なる血統」を保持すると信じているフリーメーソン内の結社を抹殺してくれることだった。この血統は「聖杯」“Holy Grail”と呼ばれている。この秘密の排除使命は、カトリック教会の有力なライバルを壊滅させるはずだった。(我々プロテスタントから見ると、どちらにしても馬鹿馬鹿しくて話にならないことなのだが)

 

 

 しかし、ナチスには別の思惑があった。ナチスはその「聖杯」を彼ら自身の目的に使おうと思っていたのだ。血統を持つ者を探すのではなく「聖杯」がその血統をあらわすと見たからである。フリーメーソンの「シオンの長老」の下にあるライトとスコティッシュ・ライトが、この血統の保存に関わっている。(あのインディー・ジョーンズの映画には、こういう背景があったのだ。こんな少年雑誌の冒険小説のような話を真面目に実行している強力な人々がいるのだろうか。金持ちのやることは分からない)

 

 

 

正統派ユダヤ教を抹殺 

 

 ところで第二次世界大戦の時に、ナチスによって殺されたとされるユダヤ人の物語には驚嘆すべき裏話がある。これから書くことには特に御注意いただきたい。 

 

 最近になって2人の正統的ユダヤ教徒が衝撃的な内容の本を出版した。『裏切り』と『ホロコーストの犠牲者』である。彼らの証言によると、シオニストとユダヤ改革派はヨーロッパのユダヤ教正統派を犠牲の生け賛にした。今、正統的ユダヤ教徒が次々と、世界の権力の中心にいるシオニストとユダヤ改革派による同胞への裏切りの真実を書いたり、語ったりし始めている。ホロコーストの追究者であるミカエル・グリーンヴァルドは、イスラエルの高位の役職にあるルドルフ・カストナーがハンガリーのユダヤ教正統派の100万人の処刑の直接の責任者であることを発見した。  

 

 ナチス第三帝国の移民局はシオニスト・ユダヤ人によって運営されていたということが判明したのだ。ロスチャイルド家と他のユダヤ改革派の者たちはドイツから逃れ、ユダヤ教正統派は捨てられた。すでにアメリカの実権を握っていたように、他の国々の実権を握っていたユダヤ改革派(カバリスト・ユダヤ)は、第二次世界大戦前にユダヤ教正統派が安全に移民することを禁止するように働いた。ヒトラーがユダヤ人を追放しようとし、どの国も引き取り手の無かった時に、ユダヤ人の力はユダヤ教正統派をドイツから逃れさせ、抗議するには十分でなかったのだろうか。  

 

 ちょうどその時、ルーズベルトを大統領に当選させるためには十分強力だったというのに。1985年、シオニスト・ユダヤ人であるデイヴィッド・ウェインが『ユダヤ人の放棄』という本を書いた。この本には、シオニストの遠大な計画の真実が書かれているのだが、シオニストはヨーロッパのユダヤ教正統派を救う代わりに、イスラエル国家の建設に集中する決断を下したと書かれている。しかし実際にはホロコーストを口実に、イスラエル建設を世界に認めさせたのだから、ユダヤ教正統派はその犠牲にされたのだ。ナチスに殺されたユダヤ人の大半は、正統的な信仰を保持していたユダヤ人だったのだ。  

 

 そこにはユダヤ国際金融機関が、なぜヒトラーを後援したかが書かれている。彼らはライバルであるユダヤ教正統派を壊減させ、ユダヤ人自身のパレスチナ保有の熱望を世界に認めさせる機運を醸成させるように図ったのである。彼らは、また、フリーメーソンの世界統一宗教に向けて、権力者の目的に沿って世界を誘導した。ユダヤ教正統派は、聖書の宗教をクリスチャンのように守っていたから非常に邪魔だったのである。

 

 第二次世界大戦以後においては精神的な分野でユダヤ改革派は同じことをやっている。今日、一般の人々の認めている精神医学の権威者たちは、サタン的サバチズムの教えから導き出された原則に沿って教育されている。フロイトはカバリスティック・ユダヤの教則本『ゾハール』とサバチズムからアイディアを得ている。ユダヤ改革派とイルミナティは、ユダヤ人のモラルと聖書が悪いこととしている決まりを破壊するために働いている。彼らは何世紀もそんなことをやってきた。あるユダヤ人が書いた『ゴーレイのサタン』と言う本には、ポーランドのユダヤ人社会の「イルミネートされた者たち」が、どうやってユダヤ人のモラルを破壊したかが書かれている。

 

 このサタン的ユダヤ教は、サバチアニズム(安息日運動とでも訳すのだろうか)と言うが、そこから生まれたフランキストが後にドイツのイルミナティの中心となった。フランキスト・イルミナティの堕落した品性は、今日アメリカの神無き社会を、日々悪化させている大元なのである。

 

 フロイトの教えに基づく精神医学者が多くの人々の生活に影響を及ぼしていることは疑問の余地がない。あるユダヤ教のラビは、これらカバリスティック・ユダヤの東洋的な反神論、魔術、淫らな異教を止めさせようとしたが、それは空しい低抗であった。

 

       (フロイト)

 

 

 

ユダヤ財閥に踊らされたヒトラー 

 

 さて、ここにヒトラーについて不思議な証言がある。『アドルフ・ヒトラーの心』と言う本(NYBasic Book Inc.)の著者ウォルター・C・ランガーによると、ヒトラーはウィーンのロスチャイルド男爵の孫であると言う。オーストリアの警察が、オーストリア人のチャンセラー・ドルフスの命令の下でヒトラーがやったことを調査した極秘のレポートによると、ヒトラーの祖母、マリア・アンナ・シッケルーバーはウィーンでロスチャイルド男爵の女中として働いていたとき妊娠した。それを知ったロスチャイルドは彼女を故郷のホスピタルに送り返した。そこでヒトラーの父、アロイスが生まれた。後年、ヒトラーは自分のルーツについて調査を命じた。彼の個人的な法律顧間ハンス・フランクはヒトラーの父方の血統を調べた。

 

        (ヒトラー)

 

 

 

フランクは彼の祖母が、「オーストリアのグラッツにあるユダヤ人の家」のハウスメイドとして働いていたときに妊娠したと言う報告を寄せた。この時からヒトラーは自分がロスチャイルド家とつながりがあると信じるようになった。(これだけではヒトラーとロスチャイルドとの血縁を証明することにはならないが、所詮こういうことは証明出来るものでもない)

 

 

 鍵十字は、ヒトラーが出席していたカトリックの修道院学校の管理者であったヘイギン神父の紋章であった。また、ヒトラーは若い時から魔術、神智学、オカルトなどに興味を持った(鍵十字はオカルトのマーク卍である)。第二次世界大戦以後、カトリック教会は共産主義に対して戦いを宣言してきた。これは「イルミネートされた者たち」にとって好都合だった。彼らは冷戦を望んでいたのだ。共産主義への恐怖を利用して、CIAはカトリック教会に浸透した。最終的には冷戦は終結され、「新世界秩序」が創設され、彼らはカトリック教会を陰で操ることを止め、実際にコントロールすることにした。

 

 

 メーソンの無法者集団P2もイタリアとバチカンを手に入れるためにCIAと働いた。ついには正式なフリーメーンン・ロッジがバチカンの中に建てられ、バチカンのヒエラルキーの中に大きな勢力となった。

 

 

邪悪なタルムードを掲げカトリックを侵略

 

 

 カトリック教会は常に敵を持っていた。そしてそれらの敵のいくつかが、カトリック教会の転覆を計る秘密の組織であったとしても驚くには当たらない。

 

 

 敵対したものの中には、後のプロテスタントのようにカトリック教会の道徳的欠陥と腐敗堕落を指弾したものもあったが、それらの人々は道徳の間題で教会そのものの敵となろうという考えは持たなかった。

 

 

 宗教改革者たちと言えども、カトリック教会に残るキリスト教のかすかな痕跡までも破壊しようとはしなかった。ユダヤ人はタルムードを編纂し採用したが、タルムードに見るモラルはカトリックの最悪の時代でさえ耐えることができなかったほど邪悪であった。

 

 

 タルムードはゴイム(異邦人)に対してなら、あらゆる罪を犯しても良いと教示している。無数の箇所にユダヤ人たちに、彼ら自身が義務を負うべきものとして、子供をレイブする、獣かん、その他、クリスチャンの間で罪とされている多くの習慣が書かれている。カトリック教会がユダヤ人を押さえ付けようとした背景には、タルムードに編まれた不快極まる悪徳を彼らが実行したことがある。これが、ユダヤ人がタルムードを隠そうとする理由でもある。ごく初期には、カトリック教会はそのもっとも僧むべき敵はカバリスティック・ユダヤ教であり、カトリック内部のフリーメーソンの会の始まりの背後にもユダヤ・カバリストがいると感じていた。

 

 

 同様にプロテスタントの改革者たちも、もっとも危険なのはユダヤ・カバリストであると感じていた。それは決して人種的偏見ではなく、彼らが全ての道徳を大胆に破壊するからであった。ジュネーブを支配したカルビンとその仲間たちがセルベタスを火刑にしたのは、彼が教会の寄って立つ道徳的側面を攻撃したからである。改革者たちはカトリック教徒を火刑にはしなかった。プロテスタントたちはカトリック教会が聖書のこのように基本的な信条までは破壊していないと見ていたのである。

 

 

 たしかに人種的偏見による事件が起こった時代はある。しかし、ユダヤ人の迫害という話は歴史的に再調査してみる必要がある。それらには事実と神話的なイメージに大きな落差がある。伝えられるその実態と数は、正確に調査される必要がある。

 

 

 異邦人である我々は「最上のゴイム(異邦人)でも殺されなければならない。」(Abhodah Zarah26b)というタルムードの言葉を知らなければならない。ユダヤ人はメディアを操作してこのようにひどいユダヤ人自身の人種的偏見は覆い隠すが、TVや映画などあらゆるメディアを通してクリスチャンがホロコーストをやったと非難する。カトリック教会を浸蝕するためにユダヤ・カバリストは薔薇十字団とフリーメーソンを創設した。薔薇十字団とフリーメーソンは最初からユダヤ教のシンボリズムとカバラ魔術を採用していた、要するにそれはカバリスト・ユダヤをキリスト教風にアレンジしてユダヤ人以外を取り込むための巧妙な装置だったのである。

 

 

読者は、今後フリーメーソンと薔薇十字団をユダヤ・カバリズムと同一のものと考えて頂きたい。薔薇十字団は精神と宗教的な分野。フリーメーソンは攻治、経済、その他の世俗的な分野に当たる。フリーメーソンの最重要テーマは初めから「ソロモンの神殿の再建」であった。エルサレムの神殿はキリストの預言の通りにAD70年に破壊された。そしてユダヤ人の希望であるはずの「神殿の再建」の思想は、本来キリスト教とは関係無いものであるにもかかわらず、ゆっくりと長い時間をかけて、巧みにキリスト教会に侵入していった。

 

 

メーソンと戦った法王クレメンス12世

 

 

 1738年、法王クレメンス12世はフリーメーソンを非難し、カトリック信者はそれから離れ、加わってはならないと言った。しかし、カトリックのノーフォーク公爵は、これを無視し、イギリスのフリーメーソン・グランド・マスターとして行動したし、同じくモンタギュー子爵(イルミナティのキーパーソン)もイギリスのカトリック教会の頭でありながら、この詔勅を無視し、イングランドのメーソンロッジのクランド・マスターとして行動した。

 

 

 フリーメーソンのロッジはあらゆる反宗教的感情の温室となっていった。メーソンのロッジが公に現れると間もなく、ヨーロッパの各国政府はフリーメーンンで充満した。ポルトガルの王室顧間マルキー・ド・ポンパール、スペインの王室顧間カウント・ド・アランダ、フランスのミニスター・ド・チロット、ダヅク・ド・チョイソール。彼らは互いに「ピラミッドの兄弟、キリスト教の組織打倒の擁護者」と呼び合っていた。

 

 

 1773年7月21日法王クレメンス12世はイエズス会を廃止した。すると、もっとも活動的で献身的なメーンンでホモだったプロシアのフレデリック大王が、イエズス会を法王とブルポン家に対抗する勢力として用いるために擁護した。それからまもなく、イエズス会の勢力下の地域でイエズス会とは、あたかも無関係のように装いながらイルミナティが台頭してくるのは不思議なことではない。へクソーンや他の著者が書いているものによると、イエズス会の儀式とフリーメーソンの入会式や儀式には多くの共通点があるという。

 

     (法王クレメンス12世)

 

 

フリーメーソンの異端児ナポレオン

 

 

 イルミナティが実行したフランス革命から数年のうちに、イルミネートされたメーソンの産物ナポレオンがフランスにおける法王の支配を破壊した。ナポレオンは『自由、平等、博愛』と言うフリーメーソンのスローガンに従ってフランス革命を進め、法王の力を完全に打ち破ってしまった。彼は法王ピウス6世を監禁したが、他のメーソンの反対で殺すことは止めた。そしてピウス6世の死に伴い、ピウス7世を法王にすることを許した。

 

        (ナポレオン)

 

 

しかし、ピウス7世とナポレオンは仲良くやっていくことはできなかった。結局、ピウス7世も監禁された。ナポレオンはピウス7世をカトリックの人間の言葉によるなら「非情に」取り扱い、もっと法王の力を削ぐような書面にサインをさせた。ナポレオンは連合軍によって彼のヨーロッパに於ける地位が粉々に砕かれるのを見たとき、やっと法王を釈放した。

 

 

 ナポレオンはメーソンだったが強力なメーソンが、しばしばそうであったように独立した考え方を持っていたし、まだ今日のようにメーソンは世界統一政府という中心を持っていなかった。釈放されたピウス7世が最初にやった仕事はイエズス会の回復だった。法王の捕囚の期問カトリック教会を支配したのはフリーメーソンだった。この間、カトリックの幕の内で彼らのやったことを知るのは興味深い。彼らはバチカンの公文書保管所をパリに移転し、この公文書保管所で知り得たに違いないカトリックの多くの重大な秘密を、すぐには公表しなかった。

 

 

 これらの秘密を恐喝のために保管し、最大の効果を発揮するときに小出しに発表するためであった(メーソンが確保している歴史上の秘密はこれだけではない)。エホバの証人のC..ラッセルが、法王のナポレオンによる捕囚を歴史の転換点としたのは、その意味では正しい。たしかにその時からイエズス会と他のメーソンによって、フリーメーソンのカトリック教会への浸透、管理、影響が強固なものとなった。その後も表側の破門、禁止にもかかわらずフリーメーソンに加入した後に、カトリックの主要な地位に上ったメーソンの数は知れない。

 

      (C.T.ラッセル)

 

 

最初のメーソン法王ピウス4世はフリーメーソンとして立証できる最初の法王である。フリーメーソンが1960年代にカトリック教会を完全に掌握してからは、彼らはもはや人々が、ピウス4世がメーソンだったかどうか知ろうと知るまいと、どうでもよくなったようだ。1962年4月の『ニューエイジ』17ぺージに「フリーメーソン法王」と言う記事がある。それによるとエジプトのグランド・オリエントの公式文書に1839年8月15日にジョパンニ・フェレッチ・マスタイ(後のピウス4世)が、マスターメーソンの儀式を受けたと言う記録がある。

 

      (法王 ピウス4世)

 

 

しかし1873年にピウス4世は書簡を発表し、フリーメーソンが悪魔からのものであると公然と告発した。そこでメーソン33のガリパルディとその仲間はイタリア政府を転覆し、フリーメーソンの政府を就任させた。バチカンヘのにらみを利かせるためである。 

 

        (ガリパルデ)

 

 

 

世俗の権力のほうがバチカンよりは彼らの自由になるのは当然のことであって、実際カトリックの破壊はそんな簡単な仕事ではなかった。ビクター・エマニュエルがイタリア国王に任命されたが、彼はその間、イタリアのグランド・マスターであった。法王ピウス4世のメーソン告発の書簡が出ると王でありグランド・マスターであるビクター・エマニュエルは、フリーメーソンの各支部に書簡を送り、ピウス4世のフリーメーソンからの追放を伝えた。

 

 

 レオ13世の法王の在位の時代にカトリック近代主義が教会の伝統に反対して行動し始めた。パリの聖サルビス神学校の監督ジーン・バプティスト・ホーガンはこの運動の重要な人物である。この運動の多くの運動家はフリーメーソンか、またはその前歴があるか、疑惑を持たれていた。1884年にレオ13世は、かつて発表されたもののうちで、最も強硬で包括的な反フリーメーソンの回状を送った。

 

 

 その陰にメーソンとの激しい論争があったに違いないが、警告は極めて誠実に語られている。なぜカトリックがフリーメーソンと戦うのかを知りたければこの回状を読んでみることである。今日、フリーメーソンは変わっていないが、カトリック信徒はこのような教育を受けていない。この回状は幾度も読まれ、検討されるべき価値がある。(資料には長いこの回状の写しがあるのだが、この本では割愛する)

 

 

 多くのメーソンはこの回状を冗談と受けとった。彼らには神への恐れが無かった。この回状を冗談と受け止めなかった人々の内に、チャールズ・E・コフリン神父がいた。コフリン神父はラジオを通してこの間題を語り続けたが、力ある人々が放送を止めさせた。この独立心のある人士は、レミングの死の行進に加わることなく、異教とサタン礼拝と拝金主義と共産主義など全てフリーメーソンによってもたらされた教義を攻撃して説教し続けた。このカトリックの神父は彼の全ての力と知性を傾けて、サタンの神殿であるフリーメーソンの大波を食い止めるために立ち向かった。

 

 

 予想されたように「力ある人々」のニュースメディアは、この神父に攻撃の矛先を向けた。デトロイト・フリー・プレスは9日間に渡って、その一面で彼の評判を貶めるために「イエロージャーナリズム」と攻撃した。しかし、悲しむべきことに彼の厳しい護教の戦いの間に、彼の指導者たちは教会を売り渡してしまった。

 

 

 遂にカトリック教会を崩壊させる聖ピウス10世が1903年に即位すると、堅固に見えたカトリックの壁に危険な裂け目が現れた。慈悲深い「国際銀行家たち」は、哀れみ深くもカトリック教会に浸透し、スパイを送り込んだが、まだ、世界統一宗教の大切なパートは任せなかった。また世界統一政府の同調者にもしなかった。彼らは、20世紀はとりあえずカトリックをキリストの王国と言う状態にしておくことにしたのだ。

 

       (聖ピウス10世)

 

 

1902年の聖職者会議で、前のカトリック宣教師(Seminarian)で、メーソンのラクロクス神父が法王ピウス11世として選ばれた。

 

 

 ラクロクス神父をローマに召喚したのは聖ピウス10世であった。ラクロクスは、彼の遣志によりメーソンだったことが確認されている。ピウス11世は全てのメーソン司教によって与えられた僧職認証を自動的に継続することを禁止した。それはカトリック主流から分裂していたルファーブル派はメーソンの司教から僧職認証を受けていたからである。

 

 

 この派の指導者ルファーブルは1990年に突然死んだ。ピウス11世は1930年代の非常に混乱した政治的陰謀の時代に生きた法王であった。1930年代のバチカンと世界統一政府の政策を検証すると、ますます疑惑がつのる。例えばスペインの内乱は国際ユダヤと新ファシストの独裁者が招いたように見える。フランコ将軍と彼の財政的な後ろ盾はマラノ、改宗ユダヤ人である。フランコ将軍は、またグランド・オリエント・メーソンである。

 

       (フランコ将軍)

 

 

 ピーター・ウイーデンは、ブランデーズ大学の記録保管係のヴィクター・A・バーチがフランコ将軍に対抗した志願部隊リンカーン旅団の40%は、ユダヤ人だったことを発見したと報告している。さまざまの細かい過程は省くとして、戦争の結果は、共産主義者が100万ドル相当の金地金で蓄えられていたスペインの金保有を盗んでロシアに送ったということである。輸送手段の一つであるソビエトの船コムソモールは1936年2月2日にオデッサに着いた。金はトラックに積み込まれ、モスクワのゴークランの貴金属倉庫に保管された。

 

 

 もう一つの結果はヒトラーがこの戦争でドイツの新兵器をテストさせることができ、軍事的機動力を復興させることができたということである。もし、ドイツが彼らの軍事的能力をテストする機会を与えられなかったら、第二次大戦への歩みはもっと遅くなっていたことだろう。

 

 

 さらに巨大な政治的作戦計画が計画されていた。コフリン神父はカトリック信徒に来るべき危機に付いて瞥告し、ルーズベルトに反対して投票するように訴えていた。コフリン神父の長年のメーソンヘの警告の努力の最中に、法王の合衆国担当秘書宮バセリ枢機卿がやってきた。それは選挙に時を合わせて、ルーズベルトに対する法王の承認をアメリカのカトリック信徒に伝えるものだった。

 

        (ルーズベルト)

 

 

リベラ博士によれば、バセリ枢機卿はユダヤの血統である。バセリ枢機卿はレーニンと法王の協定、ロシア正教会がカトリック教会に取って代わるアブロマンハッタン協定の推進者であったことをご存じだろうか。バセリ枢機卿はその後、ピウス12世となる。彼は「妥協の名人」だった。ルーズベルトは、1867年から正式には途絶えていたバチカンとの外交関係を確立した。  

 

         (レーニン)

 

 

 

ヨハネ23世は貧しい生まれの人であった。彼の名は、アンジェロ・ジョセッペ・ロンカリと言った。

 

 

 77歳になった時、彼は法王ヨハネ23世となった。しかし、このヨハネ23世と言う名は、いわくに満ちた名であった。これは1415年、反法王(偽名者)として破門された人物の名で、その後、どの法王もあえて使用しなかった名だったのである。ヨハネはフリーメーソンの守護聖人の名であり、メーソンにとっては重要な名である。(聖書やキリスト教とは何の関係もない)パリ国立図書館にはヨハネ23世(ジャン・コクトー)と呼ばれている人物が『シオンの長老」(ダビデの血統を自認するメーソン秘密結社)のクランド・マスターだったと言う書類が存在する。

 

      (ヨハネ23世)

 

 

 

ロンカリが反法王のヨハネ23世が、自分の義妹を含めて200人以上もの女性を誘惑した人物だったと言うことを知っていて、あえてその名を採用したということにはよく考えて見るべき理由がありそうだ。第一次世界大戦の時、ロンカリは従軍神父として傷病兵を看病し、ミサを行った。この時期、彼は強く平和を希求して、政治には関わりたくないと兄弟に手紙を書いている。しかしバチカンでは、彼は政治に関わらないわけにはいかなかった。彼が平和を持ったのはユダヤ人たちとであった。

 

 

 彼は法王になった時、ユダヤ人がひどく嫌がっていた「良き金曜日」の礼拝式の言葉を廃止した。彼はユダヤ人を事あるごとに「兄弟」と呼んだ。1935年ローマ法王使節としてトルコを訪れた時、彼は薔薇十字団に入ったとある本に書かれている。第二次大戦の時、彼はギリシャにいてその後、フランスに戻った。パリはあらゆるオカルトの秘密組織の神経中枢の都市であり、とりわけ薔薇十字団の本拠がある。

 

 

第ニバチカン公会議はユダヤ勝利の祭典

 

 

 興味深いことに1952年からユネスコの聖司教(Holy see)の永久オブザーバーはロンカリである。ユネスコは、ニューエイジ宗教の推進者としてメーソンが発明したものである。戦後アメリカCIAは、ヨーロッパのメーソンロッジの再建に資金を提供し、カトリックヘも巨額の援助を与えている。この時のCIAエイジェント、枢機卿ヴィクター・マルロチェッチが法王パウロ6世となった。

 

 

 コンスタンス・カンベイは、彼女の著書『虹の隠れた危険』の中で「ローマカトリックの中にニューエイジの計画の根を植え付けることを許した法王を一人あげるとすれば、それはヨハネ23世であろう。彼は、ニューエイジとカトリック近代主義者から特別の尊敬を持って迎えられている」と書いている。第2バチカン公会議は、カトリックが異教を公認した最初で最大のターニングポイントである。それは正確にフリーメーンンの教義に従っている。

 

 

 例えば、それは誰でも信じ、従っているところに忠実なら救われるとしている。(キリスト教においてはキリストの贖罪だけが人を救う)ヨハネ23世はカトリック教会をフリーメーソンにするだけではなく、反共産主義の姿勢をも変えさせたこの会議の発起人に名を連ねている。ヨハネ23世はその全精力をこの会議の成功に傾けた。

 

 

 それが彼の死を早めたのだとある者は言っている。第2バチカン公会議に先立って彼は書簡を送ったが、その中で、この会議の目的は「人類の一致による千年王国の実現である」と言っている。第2バチカン会会議の議事録を全て研究したスプリングマイヤー氏によれば第2バチカン公会議はカトリック教会の最後の権威には干渉せず、手をつけなかったと言う。

 

 

 キリスト教会の最終権威である『聖書に基づく』と言うことを否定はしなかった。『聖書と伝統に基づく』教会の権威は残している。

 

 

 依然として、それは彼らの権威として表面的には辛うじて残存している。キリストは沈黙させられてはいない。教会はキリストを信じている。だからカトリック教会は自ら不可謬であると宣言し続けることができるのである。これは、じつに巧妙な方法である。カトリック教会は形だけは残されているが、中身を食べ尽くされた西瓜のようになっている。

 

   (フリッツ・スプリングマイヤー)

 

 

 

さらにカトリックのヒエラルキーと権力は、手をつけられないで残された。1963年、ヨハネ23世は、ローマカトリック教会を共産主義との合成に近づけた。また、保守主義者との中立化を図るために彼の見解に好意的な12人の枢機卿を追加任命した。興味深いのは、ヨハネ23世はカラフルな儀式を行うスイス護衛隊を免職してしまったことである。彼らは法王の住居の外庭で寝ずの番をしていた。

 

 

 同じ頃、法王の全般的な警護担当者から非常に多くの苦情が出た。この大幅な変更は、王が秘密の組織とコンタクトすることができやすくするためであったと見られている。

 

 

ローマ法王は皆ユダヤ教の奴隷

 

 

 カトリックをユダヤ教に売ったパウロ6世(ヴィクター・マルチェッチ)の元で、カトリック教会はニューユイジに向けてさらに坂道を転がり落ちていった。

 

 

 中でも特筆すべきことは、

 

.革命の神学が教会の中に入り込んだこと。

 

.カトリックの秘密結社コロンブスの騎士とフリーメーソンが共同して動き出したこと。 

 

.カトリック教会がフリーメーソンの前衛に据えられたこと。

 

.フリーメーソンの無法者集団P2が発達したことである。

 

 

 法王は、公式には「革命の神学」を祝福していないし、公の席ではこれを喜んでいるとは言わなかった。しかし、エホバの証人のチャールズ・ラッセルそっくりなファッションで、カトリックの一部、イエズス会、ドミニコ会、パウリスタ神父会などが革命の神学という「キリスト教神学」を広め始めた。これは実際にはカバリスティック・ユダヤ教そのものであった。革命の神学は革命と社会主義を歌う。これは、まったくユダヤ・カバリストのものである。

 

 

 またキリストの人性のみを言う(多くの読者にとっては、そのほうがわかりやすいだろうが、キリスト教では、キリストは人であって、神であると言う。それを肯定したらキリスト教では無くなってしまう)。また、社会主義「新秩序」のために戦うという。実際に「革命の神学」は「新しい秩序」(New Order)と呼ばれているのである。それはまた「神の国」とか「千年王国」とか呼ばれている。

 

 

 今や、カトリック教会は「キリスト教の黄金の時代」を約束し始めている。(どこかで聞いたような・・・私の前の本をお読みになった方は「黄金の時代」と言う言葉を覚えておられるだろう)

 

 

 革命の神学の著者が書いた『天にあるごとく地に、ユダヤ人、クリスチャンそして革命の神学』という本によると、新秩序の下にある人々は「羊のように素直に」従い、行うことになっている。

 

 

 そして、今やカトリックの神学者でさえ、なんと、おとなしく彼らの言いなりになっていることだろう。カトリック信者は伝統すら忘れて流行のノアの洪水に流されている。この本によるならマルクス主義者たちは寛大にもユダヤ教とキリスト教が共通の地盤に立つことを許してくれるのだ。「我々が分かち合うビジョンは2つの古く巨大な伝統の間に橋を掛けることである。革命の神学は長く保有されてきたユダヤ人の理想に帰り、社会的な関心という領域で初めて2つの信仰が互いに働き合うことを可能ならしめた・・・社会の分析と、衝突の原因を探る試みのために、革命の神学はしばしばマルクス主義の洞察を利用してきた。革命の神学者にとってマルクス主義は分析の道具であった・・・」いやはや、ものは言いようで、何とでもなるものだ。

 

 

 これはもはや、到底キリスト教ではない。ひさしを貸して母屋を取られると言う言葉があるが、カトリック教会はすでに完全にユダヤ教になってしまっているのだ。

 

 

 もう少し、このものすごい論理を聞いてみよう。「それゆえユダヤ教とキリスト教の弁証法的合成はマルクス主義により可能となる・・・(ワオ!)オーストラリアのカルメル会修道士バトリック・J・ジロンはこう言っている『今日、聖アウグスチヌスや聖トマス・アクイナスの教会を、新しい教会、ヒューマニズムと革命の教会に置き換える努力が続けられている』・・・」革命の神学の最初の実験場であったニカラグアのサンディニストの革命は十分に考え抜かれ、みごとに「演奏された」事件であった。

 

 

 もし、カトリック教会の聖職者たちが、「天国は資本主義が廃止された、労働者の地上のパラダイスからやってくる・・・」と革命を支持し、革命が「教会によって認可された宗教的な事柄である」と説教しなかったら、人口の91.6%がカトリック信者であったこの国でサンディニストたちがマルクス主義の政府を作るチャンスは無かったであろう。「革命の神学」は、ユダヤ・カバリストがカトリック内部に導入した彼らの世界支配の前衛である。

 

 

 それでも、にせパウロ6世に交代させられるパウロ6世のこのような努力にもかかわらず、その改革が余りにも遅いと世界政府のパワーセンターが考えたために、1970年代にパウロ6世に良く似た、ニセモノが取って代わった。

 

 

 一般の読者には信じられないことかもしれないが、これはよく知られた話なのである。声紋分析の専門家はこの2人は同じ人物ではないと証明した。

 

 

 鼻も耳も違っていた。パウロ6世は近視だったが、ニセモノは遠視だった。本当のパウロ6世は英語とラテン語を話すことができたが、ニセモノは英語が話せなかった。彼がラジオで話す時は、後ろからプロンプターの声が聞こえたという。しかしほとんどの人は、いつものように振る舞った。これがパウロ6世だと言われれば、少しばかり議論した後で、そうだと信じた。パウロ6世のニセモノは本物とは多くの点で正反対のことをした。

 

 

 本物のパウロ6世は離婚には強く反対していたが、ニセモノは許した。本物は聖餐式のパン(聖餅と訳すこともある)を手で受けとることを禁じていたが、ニセモノは許した。これについては不愉快な説明を加えなければならない。まったく、何で私はこんな仕事をしなければならないのだろう。

 

        (パウロ6世)

 

 

聖餐式のパンを手で受けとることはサタン礼拝者と彼らの黒ミサにとって重要なことである。彼らは教会でこのパンを受け取ると、彼らの黒ミサに(隠れて)持って行き、そこで「キリストの体」を辱める。また、この「キリストの体」は、サタン礼拝者の儀式と能力を高めると信じているのである。もちろん、それはクリスチャンの言う意味ではなく、言わば戦利品のようにあるいは魔術の小道具として用いられるわけである。

 

 

 よくもまあ、こんなことを考えつくものだ。

 

 

 そして、そんなことを熱心に実行する人がいると言うことが、私には信じられない。彼は、また禁書目録(カトリック信者が読んではならない本)の作成を中止させた。このニセパウロ六世を演出し補佐した人物もわかっている。ヴィレット枢機卿、カサロリ大僧正、ベネリ大僧正である。彼らはみな、フリーメーソンであり、ベネリはユダヤ人であった。彼らはバチカン内部の強力なメーソン組織を維持した。

 

 

 これらの全てのフリーメーソンの活動と浸透は誰にも知られなかったわけではない。フランスのダニエロー枢機卿は、カトリック教会内部で重要な地位に付いたフリーメーソンのリストを持っていると発表した。

 

 

 その4日後、1974年5月20日、この67歳の枢機卿は殺され、その死体は売春婦のアパートに置かれていた。

 

 

 6月25日付けのニューヨーク・タイムスはこのストリッバーのアパートでの「心臓発作」のスキャンダルを流した。その後、1976年5月に別のリストがバチカン内部で回送されたが、目に見えぬカによって握り潰された。

 

 

 フリーメーソンの別動隊P2が暗躍ムッンリーニの政権の間にメーソンの活動は急激に落ち込んだ。ムッソリーニはメーソンだったから、これはおかしいと思われるかもしれないが、メーソンでも際立った人物の場合こういうことは、よく起こっている。しかし、ムッソリーニは薔薇十字団に対しては寛容だった。

 

      (ムッソリーニ)

 

 

ムッソリーニは、政権を保つことに最大の関心を持っていたが、フリーメーンンは秘密の力を持っていたから彼にとって脅威であった。その点、薔薇十字団は単純にオカルト的宗教集団だったからその心配はなかったからである。 

 

 イタリアのある本の中にムッソリーニが施行した法律が残っている。それはメーソンロッジに対してその会員を報告するように命じている。秘密の組織にとってこれは厳しい法律だった。 

 

 誰がメーソンで誰がメーソンでないかを公にするなどということは、とてもできるものではなかった。メーソンロッジの会員を報告するというこの法律を、メーソンが何とかして回避しようとした歴史がP2の歴史である。正式のメーソンロッジの会員でフリーメーソン三階級のリシオ・ゲリーという男が1963年、台頭した。  

 

 イタリアのグランド・マスターが彼に非公式のメーソン組織(もともとメーソンは非公式なのだが)を創設するように働きかけた。この組織を「ラグラバメント・ゲリー・プロパガンダ2」略してP2という。2と言うのは、もともと19世紀にプロパガンダ・ロッジと言うのがあったからである。このグループは、修道士の着るような黒い僧服とフードを被る独特の儀式を行った。 

 

 彼らはロッジヘの厳格な忠誠を誓い、互いを「兄弟」と呼んだ。イタリアの言葉でメーソンに当たる「マッソ」とはレンガを意味する。それゆえ、イタリアの銀行家でP2の重要メンバーであり、P2の財政管理者であったロベルト・カルヴィがロンドンの橋げたで、僧服を着てポケットにレンガを入れられて「自穀」していたのは彼らの兄弟たちの仕業だということがわかるだろう。

 

 彼が何ゆえ殺されたのかはわからないが、それが他の兄弟たちへの警告となったことだけは、たしかである。

 

 ロベルト・カルヴィは8人のボディーガードを連れ、防弾仕様のアルファロメオに乗り、イタリアの最高の警備システムを雇っていたが、誰も彼を守ることはできなかった。P2ロッジはイギリスのグランド・ロッジ、アメリカのトライラテラル・コミッション(TC)、ポヘミアン・クラブ、ローマクラブ、マフィアは言うまでもなく、多くの情報機関(M比、CIAなど)と関係を持っている。P2のメンバーが暴露されたことがある。

 

 それによるとイタリアの30人の将軍、8人の海軍大将、多くの銀行家、テレビ会社の取締役、閣僚、政治家、シークレット・サービスのチーフ、財政検査官のトップが加わっていた。もちろんバチカンの最高階級にも。

 

     (ロベルト・カルヴィ)

 

 

善良なヨハネ・パウロ1世は殺される 

 

 ベニスの北方のカナルデ・アゴルドの納星を改造した貧しい家に、アルビノ・ルチアーノが生まれたのは1912年2月17日のことだった。貧しい少年時代に、彼はアントニオ・ロスミニの『教会の5つの傷』という本に深く感銘を受けた。彼はその生い立ちのゆえに貧者への同情と教会をキリスト教のルーツに帰したいという願いを持っていた。ベルーノの法王総代理となった彼は、読書とサイクリングと登山の好きな人であった。彼は嘘のない人柄であったので、教会の堕落を見たとき法王パウロ6世に注意を促すために訴えたが、法王は何の行動も起こさなかった。  

 

 ルチアーノは、その純粋で誠実な人柄からこれに従順に従った。パウロ6世はこの従順を堕落に引き込むことができる人物だと勘違いした。ルチアーノの父は、率直な社会主義者だったので、彼には社会主義者とのつながりがあり、彼はその良い関係(社会主義者でも中には好人物もいるものだ)を保ち続けた。これは、彼が法王になった一つの理由でもあった。  

 

 1958年彼はヨハネ23世によって主教に任命され、1969年にはベニスの総大司教に任命された。この時期にルチアーノはジョパンニ・ベネリによってバチカンの銀行から(そうとは知らされずに)フリーメーソンの資金を奪う陰謀を教えられた。 

 

 アルビノ・ルチアーノと他の人々はメーソンのカルヴィとマルシンカス主教のカトリック銀行から小さなサン・マルコ銀行に資金を移す、恥知らずなP2資金調達計画にすっかり嫌気がさしてしまった。(この時点では、ルチアーノは彼らがメーソンだとは知らなかった)

 

 ルチアーノが法王になってから、どんなことが起こったかについて調査した『神の御名によって』という本がある。この本は大いに推奨される傑作であり、ここに書かれていることの多くはこの本によっている。

 

 法王ヨハネ・パウロ1世はカトリック教会の改革に乗り出した。彼は法王になった時、戴冠を拒杏し、法王を取り巻く罠となっている王制風のきらびやかな風俗を取り除いた。

 

    (法王 ヨハネ・パウロ1世)

 

 

彼は、自分のまわりからフリーメーソンの人間を排除し正直な人間に替えた。また彼は教会から富を排除し、P2によって行われてきた恥ずべき資産の横取りを調査し、明らかにすることを始めた。

 

 

 ところがバチカン内部の検閲者たちは彼の声明を検閲し、彼の名で偽りの声明を発表した。

 

 

 電話は制約され、彼の語ることは公式の記録から抹消された。そして法王となってわずか33日目に暗殺された。(33はフリーメーソンの成熟を表すシンボル数字)

 

 

 みごとなマフィアのやり方で速やかに葬儀屋が呼ばれ、彼の体は側近のマッギー神父が発見する前に保存処置が施された。彼の意志は失われ、世界は偽りの杯を飲まされ、世界はおおむねこの嘘を受け入れた。

 

 

 しかしバチカンの中には法王を愛し、彼の死についてバチカンが大嘘をついているということ知っている人々が沢山いた。生前ヨハネ・パウロ1世は北イタリアの友人にこう言っている。「バチカンには2つのものが大変不足しているということがわかったよ。正直とうまいコーヒーがね」

 

 

 法王就任33日目に、彼は明らかに毒を盛られた。「不正直な人々」が、彼が法王に就任する前に、もっと色々教えておくべきだったということを悟った結果である。ヨハネ・パウロ1世は第2バチカン公会議と、より強い世界統一政府に好意的な発言をしている。しかし、それは彼らの構想を彼なりの考えで受け入れたものであった。そして最終的には賛成はしなかった。彼が法王に選ばれたという事実は、世界政府の鉄の壁と言えども、その隙間を通して善良な人物がすり抜けることもあるということ、そして力ある人々の力に逆らって小さな船が進むこともあるということを示している。

 

 

 P2の、銀行を舞台とする陰謀がイタリア政府を崩壊させ、アメリカのFDIC(連邦預金保険組合)の屋台骨を揺り動かしたことに対して、まったく関心を示さなかった人々でも、極めて壮健な法王が、わずか33日の後にミステリアスな死に方をしたことについては注意を払わないではいられなかった。不思議なことに法王の死の後に、それに関わったジーン・プィレットのような人々が悔い改める間もなく次々と死んでいった。それが仲間による証拠隠滅工作だったか、天罰だったかは知る由もない。

 

 

現在のヨハネ・パウロ2世はフリーメーソン

 

 

 現在の法王はヨハネ・パウロ2世である。前の本に書いた聖マラキの予言によると、この法王は「東の労働者」または「太陽の骨折り仕事」とある。たしかに現在の法王は、一見善良で苦労しているように見える。

 

      (法王 ヨハネ・パウロ2世)

 

 

しかし、彼はポーランド出身のユダヤ人でフリーメーソンである。彼の法王制の下でP2ロッジによるバチカンの財政取奪とメーソンによるカトリック教会のあらゆる階級への浸透は続いている。

 

 

 そのためにロックフェラー一族は、バチカンの学校とプロジェクトに大変な額の金を支払っている。億万長者ローレンス・ロックフェラーがカトリックのニューエイジ僧侶マシュー・フォックスを後援し、彼は非常にサタン的な本『宇宙的キリストの来臨』という本を書いた。マシュー・フォックスは、男根崇拝者であり、母なる地球の信奉者(地球を一つの生命体と見て偶像化する信仰、ギリシャ神話の地の女神ガイア信仰につながる)カール・グスタフ・ジャンギの精神分析学の実践者である。フォックスの一元論は、3000年前のヒンズー教の教えである。他にもケネス・ワプニックのようなニューエイジ・カトリック者が、ニューエイジの福音を伝えている。

 

      (マシュー・フォックス)

 

 

ヨハネ・パウロ2世の下で、バチカンは近代史上最大規模のプロジェクトを遂行した。  

 

 カトリック教会は新世界秩序の祝福の内に、ポーランドの「連帯」運動を創設した。1986年だけでカトリック教会から「連帯」に一億ドルが送られたと見積もられている。この運動が起こる前にロシアの通報者によって、その計画の細目が明らかにされた。それによると共産主義者たちは、東ヨーロッパを解放し、ヨーロッパとロシアの合体を図り、来るべき大ヨーロッパを中心とする世界統一政府を作るためであった。 

 

 ヨハネ・パウロ2世がフリーメーソンだと知って驚くことはない。彼はバチカンの重要なポジションにメーソンを配置している。また、今やカトリック信者は教会の公式の機関紙からフリーメーソンのプロバガンダを聞かされている。

 

 アメリカ・カトリック・マガジンの91年5月号は、まるでフリーメーソンの募集記事のようだ。その記事にはレンガや鉛管工や、こてなどの絵が描かれて、フリーメーソンが建築労働者の延長のような偽りのイメージを与えている。「フリーメーソンは月毎に集まって昔風の儀式をします、単なる社交のために・・・それは大人のボーイスカウトです。(よく言うよ!)・・・今日、メーソンは本質的に温和な奉仕団体なのです」そして最後に「あなたも歓迦します」とある。